落語における貨幣価値について

 八代目桂文楽の噺などをいくつか聴いて、いまさら気づいたのですが、古典落語には、明治以降を舞台にしたものが数多くあります。
 いつごろを舞台にしたものかを探るうえで、手掛かりとなるのが貨幣価値です。江戸時代については、一両≒10万円くらいかなあ、といった感じですが、明治以降の噺では、噺によって貨幣価値が変わるようです。


 例えば、『愛宕山』で幇間への祝儀の相場が10円。『厩火事』で、亭主を試すために女房が割る瀬戸物が1円60銭。『たちきれ線香』では、小僧が買収される金額が50銭や1円といったぐあい。


 『厩火事』の1円のほうが、『たちきれ線香』の1円よりも、あきらかに価値が高そうです。小僧の小づかい銭程度で買える瀬戸物では、亭主の心は分からないでしょうから。
 すると、『厩火事』より『たちきれ線香』のほうが新しい時代の噺ということになりそうです。
 なお、桂文楽の『厩火事』では、「今の中華民国」という台詞がでてきます。この台詞が落語の時代背景に沿ったものなのか、昭和の聴衆に向けてのメタ的な台詞かは分かりませんが、仮に前者だとすると、中華民国の建国は大正元年ですから、『厩火事』は大正時代の噺ということになります。
 そうなると、1円の価値のもっと安い『たちきれ線香』も、大正時代以降の噺ということになるのですが、うーん、どうでしょう。もっと古い時代のほうがふさわしい噺のような気がしないでもないですね。
 明治、大正の文学に詳しければ、貨幣価値の感覚もあるのでしょうが、浅学なものでよくわかりません。
 場合によっては、貨幣価値と時代背景にズレがあったりもするのでしょう。厳密な時代考証が必要な場合もあれば、フィクションと割り切る必要がある場合もある、ということではないかと推測します。