落語『死神』のバリエーションをひもとく

1.はじめに

 落語の『死神』は、演者によるオチのバリエーションが多いことで知られている。しかしながら、それらのストーリーラインは基本的に六代目三遊亭圓生のものをなぞっており、本質的な部分においては、それほどの差異がないものとなっている。

 落語『死神』のバリエーションとしては、圓生のもののほか、初代三遊亭圓遊による改作『誉れの幇間』(演題として『死神』『全快』と呼ばれることもある)が知られている。

 そして、このほかに、五代目古今亭今輔の『死神』がある。今輔の『死神』については今まであまり論じられてこなかったが、この落語の伝承の歴史において、重要な意味を持つバリエーションである。本稿では、今輔の『死神』がどのようなものであったかについて主に論じていきたい。

 圓生今輔は、いずれも二代目三遊亭金馬の口演に基づいて、独自のアレンジを加えて自らの『死神』を完成させた。二代目金馬の『死神』は、作者である三遊亭圓朝から直接教えを受けたものであった。圓生今輔の『死神』を比較すると、圓生のほうがより大きなアレンジを加えており、今輔のほうが比較的原作に近い。ただし、今輔の『死神』には、他の『死神』とは明確に異なる特徴も見受けられる。

 このほかに、『誉れの幇間』の特徴と伝承についても本稿で論じたい。また、『死神』のオチに影響する和ろうそくと西洋ろうそくについても説明を加えたいと考えている。

 

2.落語『死神』の成立と伝承について

 落語『死神』は、グリム童話『死神の名付け親』をもとに、明治20年代に初代三遊亭圓朝が作ったものとされている。

 『死神』のルーツに関してはイタリアのオペラ『クリスピーノと妖精』とする説もあるが、このオペラだけをもとに『死神』が成立したと考えるのは、いささか無理がある。落語『死神』にあってオペラにはない要素(死神の位置で病状を判断することころ、病人の向きを反転させるところ、ろうそくで寿命を延ばそうとするところなど)が数多くあって、仮にオペラだけがルーツだと考えると、それらは圓朝独自の工夫だと考えるほかない。しかしながら、実際はグリム童話『死神の名付け親』にはそれらの要素が備わっている。多くの要素にわたって、圓朝独自の工夫がグリム童話と偶然に一致したとは、確率的にも考えにくい。

 圓朝自身が『死神』を演じた速記は残っておらず、そのオリジナルのスタイルは分かっていない。圓朝から直接教えを受けた二代目三遊亭金馬の口演筆記は残っており、これが圓朝の演じたものに最も近いと推定されている。

 圓朝から直接『死神』を教わった落語家は少なくとも3人いる。初代三遊亭圓遊、初代三遊亭圓左、二代目三遊亭金馬である。圓左は明治30年代に盛んに『死神』を高座にかけたという。二代目金馬はそれより若い落語家で、大正14年ごろまで活躍した。二代目金馬の時代には、圓朝スタイルの『死神』は、他に演者がいなかったとの証言がある。

 圓遊は明治30年以前に『死神』を改作し、『誉れの幇間』として高座にかけた。主人公が死ぬことがなく、自分を含めて手あたり次第に寿命を延ばしていくという、大胆な改変を行ったものとなる。圓遊は落語の大衆化を目指し、それに大きく貢献した噺家であって、陰気さよりも痛快さを重視した。圓遊の口演については速記が残っている(演題は『全快』)。この改作は上方にも伝わり、初代桂春団治による口演の録音も残されている。

 いわゆる「昭和の名人」の時代において、『死神』の代表的な演者は3人いた。六代目三遊亭圓生、五代目古今亭今輔、三代目三遊亭金馬である。三代目金馬は、圓遊スタイルの『誉れの幇間』を演じていた(演題は『死神』)。二代目金馬が圓朝スタイルの代表的な演者だったのに対し、三代目金馬は圓遊スタイルの代表的な演者だったことになる。実は、この二人には師弟関係がなく、名跡だけを継いだという関係性にある。三代目金馬の弟子である二代目三遊亭金翁(四代目三遊亭金馬)も圓遊スタイルの『誉れの幇間』を演じていて、その録音が残っている。『誉れの幇間』は、現在も演じられる演目だが、三代目金馬の時代とはその位置づけが変化してきている。この点については後述する。

 圓生今輔は、二代目金馬の口演を聴き覚え、独自のアレンジを加えて自らの『死神』を完成させた。二代目金馬の『死神』をルーツとして、「圓生の死神」と「今輔の死神」の2種類が成立したことになる(圓生については三遊一朝を介して覚えたとの説もある)。

 六代目三遊亭圓生はこれを十八番とし、これにより『死神』は一気にメジャーな噺となった。現在広く演じられている『死神』の多くは、圓生が演じたものをベースとしている。一方、今輔スタイルの死神については、現在も落語芸術協会の一部の噺家に継承されているようである。

 

3.二代目三遊亭金馬の『死神』

 それぞれの『死神』を比較するにあたり、まずは圓朝が作ったかたちに最も近いとされる二代目三遊亭金馬の『死神』のあらすじをまとめる。

 

 子供に名付け親を頼む金に困った主人公は、死神に出会い、医者になることを勧められる。死神が先に病人の家に行き、後から主人公が行って、病人が治るか治らないかを死神の位置から言い当てるというシステムである。死神が枕元にいたら助からない。裾にいたら助かる。裾に死神がいた場合、主人公が帰った後にたちまち病人は回復する。大金を儲けた主人公は、女房子供と京大阪を見物するが、浪費により一文無しになる。再び死神に頼み込み、もう一度助けてもらうことにする。豪商の病人を見舞うが、あいにく死神は枕元にいる。大金に目がくらんだ主人公は、布団をひっくり返して病人を助け、礼金を手に入れる。死神は主人公をいざない、寿命のろうそくを見せる。病人と自分の寿命が入れ替わったことを知った主人公は、自分のろうそくに灯しかけを接ごうとするが失敗して死ぬ。

 

 この特徴としては以下が挙げられる。

 

  • 主人公には女房と子供がおり、子供に名付け親を頼む金を工面しようとしている。これは、原案のグリム童話が名付け親をめぐる話であったことの名残とみられる。ただし、金については極端に切羽詰まってはいないようである。
  • 死神は、主人公の本来の寿命が長いことを話さない。
  • 主人公は医者になる。
  • 死神の人数は一人。主人公の先回りをして病人の家に行く。死神は、主人公のためだけの出張サービスをしてくれる。
  • 死神が枕元にいたら助からない。裾にいたら助かる。
  • 主人公は呪文や祈祷を行わない。治るか治らないかを言い当てるだけである。病人はその場では治らず、主人公が退去してから回復する。これは出張サービスしてくれる死神を、強制的に追い出すことをしないためである。
  • 女房子供とは別れないが、家族についての言及は少ない。
  • 病人と自分の寿命が入れ替わる。
  • 主人公はろうそくを接げずに死ぬ。

 

 現在演じられている圓生スタイルの『死神』と比較すると、死神が一人しか登場せずにマンツーマンで医者をすること、主人公が呪文をとなえないこと、病人がその場で治らないこと、女房子供と別れないこと、などの相違点がある。全体的にあっさりとした印象を受ける。

 

4.初代三遊亭圓遊の『誉れの幇間

 続いて、明治時代に初代三遊亭圓遊が改作した『誉れの幇間』のあらすじをまとめる。

 

 縁起の悪いことばかり口にして師匠をしくじった幇間の善表、死のうかと思っていると死神に出会う。五千人からいる死神が死神会社を設立し、たいそう景気がいい、縁起の悪いことばかり言うお前を贔屓にしている、などと言われる。善表は死神が見えるようになる数珠をもらって金儲けを始める。死神が病人の裾にいたら、善表がエヘンエヘンと咳をすれば病人はすぐ全快するようになった。死神が枕元にいたら助からない。大金持ちになった善表は贅沢の限りをつくすが、やがて一文無しになる。その後に身分の高い家を見舞うが、死神は枕元に。善表は、布団をひっくり返して全快させ、礼金をせしめる。怒った死神に、死神会社のろうそくの広間に通され、善表は自らの寿命が短いことを知らされる。死神が奥に呼ばれた隙に、善表は自分のろうそくに新しいろうそくを接いで寿命を伸ばす。さらに、新しいろうそくを残らず持ち出して、それらを接いで日本中の病人の寿命を伸ばしたほか、芯を切って明るくすることで病気を治してしまう。逃げ出した善表は、病気が治って明るくなった得意先と会い「明るくなる訳で、今私が芯を切ってまいりました。」

 

 この特徴としては以下が挙げられる。

 

  • 主人公はひとりものの幇間である。
  • 主人公は医者を名乗らずに、幇間のままで病人を治す。
  • 死神は大勢いて、病人の元にはそれぞれ別の死神がいる。
  • 死神が会社を設立しているなど、現代を舞台とした落語として演じている。
  • 死神が枕元にいたら助からない。裾にいたら助かる。
  • 死神が裾にいる場合、主人公がエヘンエヘンと咳をすると、その場で病人は全快する。
  • 病人と自分の寿命は入れ替わらない。もともとの寿命が短い。
  • 主人公はろうそくを接いで寿命を伸ばす。

 

 『誉れの幇間』は『死神』のハッピーエンドバージョンであるが、違うのは結末だけではない。二代目三遊亭金馬圓朝スタイルの『死神』と比較すると、「死神が裾にいたら病人は治る」という部分を除いて、ほとんどの要素に大きな改変がみられる。「病人と自分の寿命を取り替える」という圓朝スタイルでは核心となる部分も、圓遊スタイルでは存在しない。どうせ寿命を伸ばすのだから、それが短くなった理由は重要でないということだろう。

 『誉れの幇間』の優れた点は、「合図とともに善表の目の前で病人が全快する」というインパクトのある演出を創出したことである。これを可能にしたのは、死神が大勢いるという設定である。病人と死神が1対1なので、その死神が去れば病人はその場で治ることになる。主人公の目の前で病人が快癒すれば、その場で感謝されて、その後の展開も膨らむ。

 これに対して、二代目三遊亭金馬の『死神』では、主人公と死神がマンツーマンで医者をやっている。そのため、主人公の目の前で死神が去るということがなく、主人公が辞してから、ようやく病人が治癒することになる。感謝は間接的に伝えられることになり、演出としては弱い。

 「主人公の目の前で病人が治る」という演出は、後の時代の六代目三遊亭圓生も採用している。圓生が『誉れの幇間』を参考にしたのかは定かでないが、圓遊の工夫と同じかたちは現代においても演じられている。

 小道具として出てくるろうそくであるが、これは和ろうそくでなければ噺が成立しない。芯を切って明るくするのがオチになるので、寿命のろうそくは芯切りの必要な和ろうそくでなければならない。

 寿命のろうそくを接いでいくというのも、和ろうそくならではのことである。西洋ろうそくでは、ろうそくとろうそくを接いで長くすることは、基本的にできない。和ろうそくは、中心に中空に巻かれた太い灯芯があって、底部には凹みがある構造をしている。そのため、ろうそくの底部に、もう一本のろうそくの芯を差し込むと、2本のろうそくを1本のろうそくとして燃やすことができる(これは、継ぎろうそくといって、縁起が悪いこととされている)。

 落語『死神』において、寿命のろうそくが、和ろうそくか、西洋ろうそくかというのは、なかなか難しい問題である。おそらく六代目三遊亭圓生の時代までは、明確に和ろうそくを念頭においていた。寿命を伸ばすためにろうそくを接ぐというのも、火を移すのではなく、和ろうそくと和ろうそくを結合させるという作業を指していたと考えられる。圓生の口演の映像では、短いほうのろうそくを手で持ち上げる仕草が確認できる。

 しかしながら、現代では、和ろうそくに馴染みのない観客がほとんどになった。観客の思い浮かべる寿命のろうそくは西洋ろうそくで、落語家もそれに応じた演出をするようになった。基本的に、現代の噺家は、ろうそくとろうそくに火を移すことで寿命を伸ばすように演じている。

 和ろうそくを接ぐのと、西洋ろうそくで火を移すのでは、必要な作業も異なり、相当に難易度が違うはずである。その意味では、現代の落語家は、圓生の時代から大幅なアレンジを加えた『死神』を、必然的に演じていることになる。

 『死神』のオチのバリエーションを考えるとき、寿命のろうそくが和ろうそくか、西洋ろうそくかは、重要なファクターであるかもしれない。和ろうそくと和ろうそくを接ぐ所作の複雑さと比較すると、西洋ろうそくで火を移す所作は単純で、かなり物足りないものとなる。その物足りなさを補うために生まれたのが、オチのひと工夫だったのではないか。そのような可能性さえ考えられる。

 『誉れの幇間』の特徴は、その時代性にもある。圓遊は、そのときの「現代」を舞台にして落語を演じた。落語の本編にも時事ネタが多く含まれており、死神会社と関連して当時の災害についても語られている。この現代性は、後の時代にまで継承された。この点について次に述べる。

 

5.『誉れの幇間』は「現代落語」として伝承された

 『死神』は、一般的に「古典落語」に分類される。通貨の単位は両であり、舞台を江戸時代として演じる場合が多い。

 それに対して、初代三遊亭圓遊が改作した『誉れの幇間』は、その成立の時期を考えると「古典落語」であるが、口演の同時代を舞台として演じられるため、「同時代落語」、「現代落語」という面を持つ。この「現代落語」は、時代の移り変わりとともにアップデートされて、その現代性を保っていった。

 例えば、三代目三遊亭金馬の『誉れの幇間』にはダンプカーが出てくるし、その弟子の二代目三遊亭金翁の『誉れの幇間』では、善表はマンションに住むようになった。これらの演者の『誉れの幇間』は、明らかに昭和以降を舞台にしている。現代を舞台にすることによって、かえって死神の非現実性が際立って、死をテーマにしながらも明るいバカバカしさが感じられるようになっている。

 同じ圓朝の『死神』から枝分かれしたバリエーションが、一方は江戸時代を舞台にする落語にとどまり、一方は昭和以降を舞台にする落語にアップデートされていったことは、非常に興味深い。

 古典落語は、江戸時代を舞台にしていると思われがちだが、明治時代や大正時代を舞台にしているものも、かなりの比率を占めている。鉄道は普通に出てくるし、『寝床』では自動車さえ出てくる。しかし、『誉れの幇間』のような「昭和以降を舞台にした古典落語」は、比較的珍しい。

 ただし、『誉れの幇間』の代表的な演者であった三代目三遊亭金馬は、昔の落語を新しい時代を舞台にして演じることの多い落語家であった。例えば、彼の『二十四孝』には自衛隊が出てくるし、『堪忍袋』にはパチンコと競輪が出てくる。三代目金馬のこのような特徴も、『誉れの幇間』が現代性を保つことにつながっていたと思われる。

 しかしながら、「現代落語」としての『誉れの幇間』の命脈は、現在では絶たれている。これは、『誉れの幇間』に不可欠な要素である「幇間」と「和ろうそく」が、日常から消えてしまったためである。また、命の危ないような重病人はベッドに寝ていることが多くなり、「布団をひっくり返す」のリアリティも現代では薄れてしまった。

 現代の演者である三遊亭遊馬は、『誉れの幇間』を完全な古典落語として口演している(その音源が販売されている)。「病人と自分の寿命を取り替える」という要素も追加されており、かなり六代目三遊亭圓生の『死神』に近づいたアレンジになっている。

 

6.六代目三遊亭圓生の『死神』

 続いて、六代目三遊亭圓生の『死神』のあらすじをまとめる。現在の演者のほとんどは、圓生の『死神』をベースにして『死神』を演じている。最もメジャーな『死神』のバージョンである。

 

 金に困った主人公が死のうかと考えたところ、死神に出会い、寿命がまだ長いことを告げられて、医者になることを勧められる。死神が見えるようにしてもらって、病人のところには必ず死神がいること、死神が裾にいる場合には、呪文を唱え手拍子を叩くと、死神が去って病気が治ることを教えられる。ただし、死神が枕元にいたら助からない。医者を始めて大金持ちになった主人公は、金を付けて女房子供を叩き出し、他の女との生活を始める。京大阪を見物するが、浪費によって女にも去られ一文無しになる。江戸に戻って医者を再開するが、死神はいつも枕元に。豪商の病人を見舞うが、またしても死神は枕元にいる。大金に目がくらんだ主人公は布団をひっくり返し、呪文と手拍子で病人を助けて、礼金を手に入れる。死神は主人公をいざない、寿命のろうそくを見せる。病人と自分の寿命が入れ替わっており、長いはずの寿命が風前の灯火に。主人公は、自分のろうそくに灯しかけを接ごうとするが、失敗して死ぬ。

 

 この特徴としては以下が挙げられる。

 

  • 主人公は金に困っているが理由は不明。グリム童話にあった名付け親の要素は、完全に消えている。
  • 死神は、主人公の本来の寿命が長いことを話す。
  • 主人公は医者になる。
  • 死神は大勢いて、病人の元にはそれぞれ別の死神がいる。
  • 死神が枕元にいたら助からない。裾にいたら助かる。
  • 主人公が呪文を唱え手拍子を打つと、裾の死神は去って、その場で病人は回復する。
  • 主人公は女房子供を追い出す。愛人にも逃げられ一人きりとなる。
  • 病人と自分の寿命が入れ替わる。
  • 主人公はろうそくを接げずに死ぬ。

 

 圓生の『死神』は、以下のように洗練された演出が際立つものとなっている。

 

  • グリム童話の名付け親の要素は、不要と判断して削除している。
  • 主人公の本来の寿命が長いことを、死神が冒頭で知らせている。これにより、終盤の消えかけのろうそくの衝撃が高まるようになっている。
  • 呪文を唱え、手拍子を打つとその場で病人が回復するという演出を案出した。手拍子を合図に状況がガラッと変わるため、テンポの良さやキレの良さが感じられる。『誉れの幇間』の咳よりも、手拍子のほうが演出的に優れていると思う。
  • 上記の演出を可能とするため、死神が大勢いる設定を採用した。死神が大勢いるというイメージはグリム童話から遠い。原話を意識しない改変となっている。
  • 金持ちになった主人公は女房子供を叩き出す。これは圓生のオリジナルの工夫である。これにより主人公は一人きりとなる。最後に手に入れた大金は、誰にも使われることなく宙に浮き、その虚しさが強調される。

 

 上記の点において、圓生の『死神』は、二代目三遊亭金馬の『死神』、ひいては三遊亭圓朝が作った『死神』と異なっている。メインストーリーは踏襲しているものの、その演出は大胆に変更されている。呪文に手拍子による切れ味と、主人公の離婚による虚無感は、圓生の手柄として特筆すべきである。

 圓生の没後、死神は非常にメジャーな噺のひとつとなっている。圓生の口演が優れていたことももちろんであるが、二代目三遊亭金馬の『死神』に対して圓生が加えたアレンジが優れていたことも、この噺をメジャーに押し上げた理由のひとつである。

 

7.五代目古今亭今輔の『死神』

 最後に、五代目古今亭今輔の『死神』のあらすじをまとめる。この『死神』は、六代目三遊亭圓生と同時代に、同じく二代目三遊亭金馬の口演を基礎にして成立したものである。しかし、そのアレンジの方向性は、圓生とは全く逆であった。

 

 主人公の女房は臨月なのに家に金がない。名付け親の金どころか、お産の費用も工面できない。女房からは、「二親が生きていて金が無ければお産はできない。お前さんが死んでくれたら、世間の情けにすがって、金が無くてもお産ができる。死んでくれ」とさえ言われる。

 困った主人公は、死神に出会い、自分が80歳までの寿命を持つと知らされる。死神は、自分が後見になるから行者(祈祷師)になれと言う。死神が先に病人の家に行き、後から主人公が行って、死神の位置を見る。死神が「枕元」にいたら祈祷として寿限無を唱え、主人公が退去すれば、病人は回復することなる。ただし、死神が「裾」にいたら助からない。

 大金を儲けた主人公は、女房子供と伊勢参りに行き、ついでに京大阪を見物するが、浪費と女房のやり繰り下手によって一文無しになる。死神に頼み込み、もう一度だけ助けてもらうことにする。豪商の病人を見舞うが、あいにく死神は枕元にいる。大金に目がくらんだ主人公は、布団をひっくり返して病人を助け、礼金を手に入れる。

 礼金を見た死神は「三千両ありゃァ女房子供は、一生安楽に暮らせらァ」とつぶやいて、主人公をいざない、寿命のろうそくを見せる。病人と自分の寿命が入れ替わったことを知った主人公は、自分のろうそくに灯しかけを接ごうとするが失敗して死ぬ。

 

 この特徴としては以下が挙げられる。

 

  • 主人公は、名付け親の費用を含め、お産の費用全般に困っている。グリム童話にあった名付け親の要素がアレンジされ、強調されている。
  • 死神は、主人公の本来の寿命が長いことを話す。
  • 死神は主人公の後見になる。グリム童話の死神は、自分が名付け親になった子供に対して、特別な便宜を図った。構造的にグリム童話に近いものとなっている。
  • 主人公は行者(祈祷師)になる。
  • 死神の人数は一人。主人公の先回りをして病人の家に行く。死神は、主人公のためだけの出張サービスをしてくれる。この点は、二代目金馬の口演を継承している。
  • 死神が「裾」にいたら助からない。「枕元」にいたら助かる。今輔のバージョンだけが、他のバージョンと逆である。
  • 主人公は祈祷をするが、その場では病人は治らない。病人は、主人公が退去してから回復する。これは死神を追い出すことをしないためである。
  • 主人公には、女房と生まれたばかりの子供がいる。他のバージョンと比べて、家族のことや、主人公が父親であることが強調されている。
  • 主人公が手にした礼金が、女房子供を養う金になることを死神が示唆する。
  • 病人と自分の寿命が入れ替わる。
  • 主人公はろうそくを接げずに死ぬ。

 

 今輔の『死神』で、まず目を引く特徴は、死神のいる場所の逆転であろう。今輔のバージョンでは「死神が枕元にいると助かる」「死神が裾にいると助からない」となっており、それ以外のバージョンとは全く逆になっている。これはなぜだろうか。

 元となったグリム童話ではどうかというと、第7版まであるなかで、版によって「枕元にいると助からない」というものと、「枕元にいると助かる」というものが混在している。第2版では「枕元にいると助からない」となっており、その他の版では「枕元にいると助かる」となっている。

 一説には、圓朝の作った『死神』は、この第2版の情報に基づくものであるとされている。演出的に考えても「枕元にいると助からない」というほうが、病気の重篤さを感じさせて無理のないものと考えられる。

 では、なぜ今輔はこれを逆転させたのか。ひとつの可能性として、『死神』を演じるにあたって、彼が和訳されたグリム童話を読んだことが考えられる。今輔の時代には、グリム童話の和訳があり、そこでは「死神が枕元にいると助かる」と記されていた。今輔はこれを無視できなかったのではないか。

 五代目古今亭今輔は、古典落語も演じるが、新作落語の演者として特に名高かった。現在の新作落語は、落語家が自作をすることが多いが、当時の新作落語は、落語作家が脚本を書くことが多かった。今輔は、落語作家が書いた脚本をもとに、自らの落語を組み立てていた。古典落語は口伝の芸能であり、聞いて覚えることを基本としている。一方で、今輔新作落語は、脚本を読み込むことをスタートとしていた。今輔は「読む」噺家だった。であるならば、今輔は自らの『死神』を確立するにあたり、グリム童話を「読む」ことも怠らなかったのではないか。

 今輔の『死神』には、「名付け親」、「親子」、「死神が主人公の後見になる」などグリム童話を思わせるモチーフが多く、これらも原典へのリスペクトである可能性がある。

 その一方で、主人公と死神がマンツーマンで活動し、病人は主人公の目の前では治らない、という地味な演出は、二代目三遊亭金馬のものを忠実に受け継いでいる。先人の口演に対する律儀さも今輔の特徴であるのかもしれない。主人公を行者(祈祷師)としたのは今輔の工夫であるが、薬を盛らず呪文で治すのならば、医者ではなく祈祷師だろうというのは、合理的な判断といえる。

 今輔の『死神』の大きな特徴としては、「家族」の要素が色濃いことも挙げられる。主人公は父親として生き、父親として死んでいった。

 『死神』の演出において、六代目三遊亭圓生が「孤独」を強調したのに対し、今輔は「家族」を強調した。噺の冒頭で「お産のために死んでくれ」とののしられた父親は、最終的には、死と引き換えにした礼金で、自分亡き後の妻子を養うことになった。これによって、父としての責任を果たしたわけである。

 圓生の『死神』では礼金は宙に浮かぶ無駄な金になるが、今輔の『死神』では礼金は家族を養う大切な金になる。死神がぽつりとつぶやく「三千両ありゃァ女房子供は、一生安楽に暮らせらァ」の凄みは、忘れがたいものがある。

 

8.圓生今輔の『死神』の比較

 六代目三遊亭圓生の『死神』は、原点であるグリム童話をあまり意識していない。落語としての切れ味をなによりも重視している。主人公が手を叩くとたちまちに病人は治り、主人公は孤独のなかで死ぬ。怪談噺のような怖さもある。

 五代目古今亭今輔の『死神』は、原典であるグリム童話までさかのぼって、「家族」を軸に再構築したもののように思われる。「枕元」と「裾」と逆転は、和訳された原典を参照した結果かもしれない。二代目三遊亭金馬の口演に忠実な部分もあって、切れ味としては鈍い。主人公は父親として生きて、父親として死ぬ。怖さよりも哀れさが先に立つ。圓生の『死神』がスマートなのに対して、今輔の『死神』はいくらか泥臭く重い。

 昭和の名人の時代、新作落語の名手として人情を活写した今輔は、特別な立ち位置にいる落語家であった。今輔の持っていた特徴、書かれたものを大切にする精神、先人のものを大切にする精神、新作落語の技術、といったものが、彼の『死神』を独自のものにしていったように思われる。

 今輔のかたちの『死神』は、現在でも落語芸術協会の一部で演じられているようである。将来に継承していく意義は大きいと考えられる。

 今輔の例が示すように、『死神』のバリエーションは、オチを変えるだけのものに限定されず、より根源的な部分についても成立する。圓生のかたちを絶対視することなく、ストーリーラインのバリエーションについても、もっと広い可能性がみたいものである。