思い出のマーニー

 そのものズバリのネタバレは避けますが、できれば鑑賞後にお読みください。


 いわばガール・ミーツ・ガールズの物語でした。生きるのがへたくそな女の子が、特別な女の子と、特別じゃない女の子たち(と元女の子)のネットワークによって、少しだけ自信を取り戻すまでのストーリー。


 原作は未読なのですが、舞台を日本にして、主人公を中学生にした意味は理解できました。今、苦しさの真っただ中にいる若い観客たちに、少しでも何かを伝えることが出来るなら、そのためのアレンジは惜しまないという姿勢でしょう。
 作画スタッフが共通するアニメ映画『ももへの手紙』に近いテーマですが、1学年だけの違いとはいえ、ももは小学生、この映画の主人公の安奈は中学生ということで、アプローチは異なっています。


 自分だけが不幸せで、疎外されていて、特別なんだと思っていた中学1年生の安奈が、どんな人にもそれぞれの不幸があって、それぞれの不幸を抱えながら生きているのだと気が付いて、思春期の次のステージに進んでいくまでを、丁寧に、そしてやや不器用に綴ります。
 演出家が違えばもっとアクロバティックな展開も可能だったのでしょうが、実直で朴訥な作風は、主人公の性格とよく呼応していたように思います。


 安奈には、まず近所に住む少女、信子が近づいてきますが、安奈は信子を受け入れることが出来ませんでした。無神経に人のテリトリーに土足で踏み込む奴と考えて、「太っちょブタ」と罵倒してしまいます。
 個人的な解釈になりますが、信子は、いずれ安奈に多くを教えてくれる存在になるように思います。おそらくは次の夏くらいに。信子は彼女なりの不幸を抱えながら、その不幸と折り合いをつける、したたかなノウハウを持っているからです。
 モンスターな母親と「太っちょブタ」の容姿が、少女を少しも苦しめなかったはずはありません。しかし、彼女は、すでに彼女の不幸を客観視して、とりあえずは制御することができています。
 信子は、普通でいたいと願う安奈に「でも無駄よ。あんたは、あんたのようにしか見えないんだから。」と言い放ちます。
 この言葉は、信子自身に向けられたときには、「太っちょブタは、太っちょブタのようにしか見えないから無駄なのだ」というブーメランになります。彼女には、そのブーメランに切り裂かれても平気なだけの強靭さがあったから、冷静にこのセリフが言えたのでしょう。
 信子のこの言葉に、安奈は傷つくのですが、このセリフは呪いであるよりは、むしろ祝福であるように感じました。「あんたはあんたのようにしか見えない」のは、人の美しい面にも、醜い面にも共通して言えることであって、この言葉の前に、信子は安奈の眼が綺麗であることを伝えているからです。
 信子の達観は、その段階の安奈が受け入れるには、まだ早すぎたのだと思います。信子の方が何段階も先に進んでいて、安奈がいきなりその境地を受け入れることは困難でした。


 そんな安奈を救ったのは、自分と同じように、自分の不幸をうまく受け入れられずに苦しんでいる孤独な女の子、マーニーとの出会いでした。


 映画のキャッチコピーが「あなたのことが大好き」であることには、なかなかに深い意味があったように思います。
 安奈とマーニーは、境遇も、抱える不幸の種類も全く違うけれど、自分の不幸に圧倒されてしまって、うまく立ち向かえず、周りを冷静に見られないままに、逃避してしまっているという意味では、思春期の同じステージに立つ同志でした。


 安奈は、不幸や疎外感を前に扉を閉ざす自分のことが、「大嫌い」だったのですが、似たような境遇のマーニーと惹かれあった結果として、最後には、マーニーに「あなたのことが大好き」と伝えることができます。
 もう一人の自分としての要素を持ったマーニーのことが「大好き」になれるのならば、安奈は、自分自身のことも、いつの日か「好き」になれるのかもしれない。そんな希望が伝わってきました。