リカーシブル


リカーシブル

リカーシブル


 米澤穂信の長編ミステリ。直接の続編ではありませんが、『ボトルネック』に続くコンピュータ用語タイトルシリーズの1編といえるでしょう。
 ネタばれにならずに語るのは非常に難しいのですが、一見地味に見える展開が、はりつめるほどの緊張感と、不穏な空気に満ちていく読書体験は、文学史に残るほどのものです。今年のベストミステリの1冊となるでしょう。
 義理の母の故郷へ帰ってきた中学生の姉(主人公)と義理の弟。彼女の父は使い込みをして逃げてしまいました。米澤穂信作品には、進んで探偵役を引き受けるほど愚かではない聡明な女子がよく登場しますが、彼女もそのタイプ。しかし、結局彼女は探偵役を引き受けざるを得なくなります。自分が背負うと決めたものの重さのために。
 この作品を読むことによって、前作『ボトルネック』を読んだ記憶がフラッシュバックして、前作『ボトルネック』は、「彼」をとことん追い詰めて死の淵へ追いやる作品だった、という自分の考えが間違っていたことに気付きました。
 (以下反転。ボトルネックのネタバレになります。)彼のせいで不幸になった人がいて、手に入れたと信じていたもの全てが空しい幻で、彼の死を悼む人が誰もいなくても、あのラストシーンで、読者は彼に「死ね」と念じたでしょうか。多くの読者は、それでも、「死なないでくれ」と強く願ったのではないでしょうか。もしそうであるならば、例え無意味に見えたとしても、人生を生きる本当の意味は、その「死なないでくれ」という叫びのなかにあるはずなのです。極言してしまえば、絶望が覆う世界のなかでは、おそらくは、その叫びの中にしか生きる意味はないのでしょう。
 ボトルネックのラストはリドルストーリーになっています。女か虎かの確率は50:50ではありませんが、いくら確率が低くても、彼の死は確定していません。リドルストーリーは呪いのようなもので、読者が死ぬまでは、物語は完結しません。読者が生きている限り、「彼」はまだ生きているのです。あなたのなかに。
 人は、なにかを好転させるために生きるのではない。価値あるものを手にするために生きるのでもない。悼む人がいてくれるから生きるのでもない。それらすべてが無に帰すとしても、人生には生きなくてはならない意味がある。そう思います。この認識は、本作『リカーシブル』を読んで、ようやく身についたものです。

 この作品でも、絶望が覆う世の中を、主人公はそれでも生きていきます。手に触れるもの全てが幻だとしても、自分が背負ったものの重さを信じて。中学一年生の女の子の肩にかかるもの。その雄々しさを思う時、人生にはやはり意味があると思えるのです。


ボトルネック (新潮文庫)

ボトルネック (新潮文庫)