脚本コクリコ坂から

 2011年7月16日のスタジオジブリ映画『コクリコ坂から』公開を前にして、まだキャラクターデザインすらも発表していないのに、なぜか映画の脚本が発売になると言う理解不能なプロモーションによって、脚本を入手いたしましたので紹介します。
 なお、本作の監督、宮崎吾朗には、名作『ゲド戦記』を土足で踏みにじられ、本作の脚本、宮崎駿には、佳作『床下の小人たち』を蹂躙されましたので、個人的にはこの二人への恨みは抜きがたいものがあります。
 最初から最後までネタバレ全開でいきますので、宜しくお願いします。


 脚本を読んだ感想は、空気のような、言いかえれば屁のような、心の底からどうでもいいスカスカのシナリオだな、ということです。宮崎駿の老人ボケもここまで進んだかと思いました。キャラクターも風景もテーマもメッセージも、なにひとつ心に残りません。
 冒頭の「企画のための覚書」では、偉そうなことを言って大上段に刀を振り上げていますが、本編におけるその太刀筋は、このうえもなくヘロヘロです。


 大まかなストーリーは以下のとおりです。
 コクリコ荘という下宿屋に住む女子高生の海が、学園のサークル棟であるカルチェラタンミニコミ誌を出している俊と、友人で生徒会長の水沼とに出会います。
 俊と水沼は、老朽化により解体が予定されているカルチェラタンの保存活動をしているのですが、全校生徒の80%は建て替えに賛成しているという状況です。
 海と俊はひかれあうのですが、俊は、海の亡くなった父が、自分の本当の父と同一人物で、二人が兄妹であることに気づいてしまいます。
 一方、カルチェラタンの保存のため、海はカルチェラタンの大掃除を行うことを計画し、それは大成功に終わります。
 その帰り道、海は俊から二人が兄妹であることを聞いて傷つきますが、その後、自分の母から、実は俊は、父の友人のみなしごとなった子供であったことを教えられます。
 海、俊、水沼の三人は、学園の理事長にカルチェラタンの保存を直訴しに行き、それは成功します。めでたしめでたし。おわり。
 なんとも起伏に乏しい陳腐なストーリーですが、これだけです。これ以上のキャラクターの肉づけも、面白エピソードも、名セリフも、ないものとお考えください。


 で、このシナリオには大きな問題がふたつあります。
 ひとつは、最後のほうの理事長の台詞が誤解を招くこと。
「諸君、このカルチェラタンの値打ちが今こそ判った。教育者たるもの、文化を守らずして何をかいわんやだ。私が責任をもって、別な場所にクラブハウスを建てよう。」
 なにを言っているか分かりますか。カルチェラタンはそのまま残して、それとは別にクラブハウスも建てようということらしいのです。分かりにくいですよね。それでは二重の設備になってしまうし。
 この台詞、一回聞いただけでは、ほとんどの人が、カルチェラタンを壊してクラブハウスを建てると誤解すると思います。なんとも不親切な台詞。修正が入ればいいのですが。
 そもそもカルチェラタン問題とは、


1. カルチェラタンを残し、クラブハウスは建てない
2. カルチェラタンを壊し、クラブハウスを建てる


 の間の綱引きだったはずなのに、ここで急遽、第3の選択肢


3. カルチェラタンを残し、クラブハウスも別の場所に建てる


が出てきてしまうのです。なんやそれ。世の中そんな甘いものじゃないでしょう。


 もうひとつは、理事長への直訴の件です。本来、直訴は上記の1案を採用することを訴えにいったわけですが、直訴の前に生徒の意見を聞いていないのです。当初の段階では2案への賛成が8割だったことはすでに述べましたが、その後アンケートも投票もやっていないのです。(後記:この部分については、実際の映画では修正され、きちんとフォローがはいっていました。)
 生徒会長と言えども、学生の半数以上が2案より1案を支持していることを公平に確認しなければ、1案の直訴には行けないはずなのですが、その手順をすっかりすっ飛ばして学生の代表として直訴に行ってしまいます。鼻持ちならない専横と言うべきでしょう。
 ちなみにカルチェラタン問題は原作漫画には全くでてきません。なお、原作漫画は、フツーの少女漫画という印象でした。


 この映画のアクション的な見せ場は、冒頭にある飛び降りシーンと大掃除シーンだけだと思うのですが、この大掃除の設定も実にいい加減です。
 ほぼ女子禁制の運営をしてきたカルチェラタンに、大勢の女子が掃除に駆け付けるという安直さ。そもそもカルチェラタン保存派は少数のはず、それが増えていく描写が必要なはずなのですが、いきなりみんなカルチェラタン万歳みたいになってしまうご都合主義が鼻につきます。


 この映画、海と俊のラブストーリーを横糸に、カルチェラタン問題を縦糸に進むことを目指していると思いますが、カルチェラタン問題は上記のようにヘロヘロ。ラブストーリーのほうも肉付けが全く足りずにヘボヘボです。
 どんな映画の出来栄えになるか、ある意味楽しみです。


 時代背景を1963年にした効果も十分でありません。一応、俊のみなしご設定が、第二次大戦後の引き揚げや原爆にからんでくることと、海の父親の死が朝鮮戦争にからんでいることはあるのですが、それだけです。
 ちなみに海の父親は、朝鮮戦争朝鮮半島に米兵や物資を運ぶ揚陸艦の船長でした。そして機雷によって命を落とすのです。こちらの資料には、以下の記述があります。


1950(昭和25)年6 月25 日朝鮮戦争が勃発した。そしてその朝鮮戦争勃発により、アメリカ軍は多くの問題に直面したが、開戦当初から差し迫った問題が1 つあった。それは開戦に伴い日本に駐留していた占領軍を、迅速に朝鮮半島に輸送する必要があったにもかかわらず、アメリカ軍にはこれらの兵員、物資を輸送するのに十分な船舶がなかったことである。この問題を解決するためにアメリカ軍が採った方策は、第二次世界大戦終戦処理として日本政府に貸与していたLST(Landing Ship Tank:戦車揚陸艦)や日本の商船を利用することであった。これらのLST は日本人が乗組んで運航していた。


 この事実は知りませんでした。このあたりはさすが宮崎駿なのかもしれません。しかし、そうなると、海は亡き父の揚陸艦に向けて毎日旗を上げていることになり、かなり物騒です。


 なお、この映画は、横浜市とタイアップしてPRをするそうですが、舞台の横浜も、このシナリオではあまり魅力的に描かれてはいません。タイアップによる横浜市のメリットは小さいでしょう。


 今の時代にこの脚本を映画化する意味は、全く理解できません。
 くだらない老人のノスタルジーを、才能がない二世監督が演出するこの映画、おそらく観客を待っているのは虚無だと思います。良いところもない、悪いところさえもそれほどない、全くスカスカの作品が出来上がることでしょう。
 皆さん7月16日をお楽しみに。警告はしましたからね。


脚本 コクリコ坂から (角川文庫)

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コクリコ坂から (単行本コミックス)

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