借りぐらしのアリエッティ

 こぢんまりとした原作を、映画化にあたって大幅にスケール「ダウン」して、ほとんど見どころのない駄作ができあがりました。
 原作はきちんと面白いのに、映画は全然面白くありません。駄目なのは脚本だけではありませんが、ともかく脚本が駄目です。原作を構成する興味深い要素のほとんどを削り取って、そこに何も足さないという信じがたい出来栄えとなっています。

原作の良さとは何か

 原作は1952年に発表された児童文学の古典、メアリー・ノートンの「床下の小人たち」です。多少古めかしいところはありますが、今読んでも十分に面白い作品です。
 この作品の読みどころを、非常に大まかに言うと、


 1 故人の思い出話として、物語の虚実を曖昧にするメタフィクションの趣向
 2 人間から「借りた」ありあわせのもので作られた、雑多な小人たちの家、そこでの生活の面白さ
 3 人間の家での「借り」におけるスケール感の面白さとスリル
 4 少年とアリエッティの出会い、意地の張り合いによる会話、そこで明らかになる小人と人間との価値観の齟齬の面白さ
 5 小人と少年の交流、それまで床下の家の中しか知らなかったのに、少年との出会いにより、広い世界を知ってひろがるアリエッティの世界
 6 外の世界、冒険へのアリエッティの憧れ、小人族が生き延びることへのアリエッティの使命感
 7 エスカレートする少年のプレゼント、物質にあふれた小人生活の黄金期のコミカルさ
 8 ついに裏目に出る少年の好意、突然の大ピンチによる緊迫感
 9 無力な少年が、小人たちのために、せいいっぱいふるう知恵と勇気


といったところです。このなかで、映画のなかで十分に描写されていたのは、3と2が少しという程度でした。そのほかの面白い要素は、軒並み削られてしまっているか、極めて不十分な描写にとどまっています。
 別に原作に忠実に作れと言っているわけではありません。古い原作をアレンジし、再構成することは必要なことでしょう。しかしながら、原作を壊したならば、それと同等か、それ以上のものを再構築してもらわなければ困ります。壊しっぱなしで、水で薄めたようなものを作られては、原作に対する侮辱となります。
 きちんとしたアレンジをする知恵も意志も能力もないのなら、おとなしく原作どおりに作ってください。
 上記の2と3の描写がやりたいだけなら、10分程度の短編アニメで十分です。美術館で流せばよろしい。長編にした意義が全く感じられません。

設定の組み換えが意味不明

 原作の舞台は百年くらい前のイギリスです。映画では舞台を現代日本に変えています。そのこと自体はいいでしょう。でも、映画をみる限り、時代が現代である必然性も、舞台が日本である必然性も、全く感じられません。全然「いま」の問題を扱っていないのです。むしろ原作のほうが、現代にまで通じるメッセージ性を持っていたように思います。
 映画のそこここに感じられる志の低さから、舞台を現代日本にした理由が、「百年前のイギリスの風俗を調べて絵にするのが面倒だったから」ということだけしかないように思えてしまいます。
 そもそも、家の床下に小人が住んでいるというのは、イギリスの田舎の大きなお屋敷だから、ぎりぎりリアリティが保てていた設定です。そこを変えると当然リアリティは減じてしまうのですが、そこを補うための工夫が全く足りていません。
 また、小人たちが野に出て生活するというのも、イギリスの田園地帯だから、どうにか可能に思えるのであって、多摩の住宅地から少し外れた程度というロケーションでは、かなり厳しい想像しかできません。このことは重箱の隅のようですが、そこに工夫がないために、映画のラストをハッピーエンドと捉えることが難しく、映画全体の印象は暗いものになってしまっています。
 小人を嫌う家政婦にしても、百年前だから許された人物造型なのであって、現代日本では奇人変人にしか見えません。
 また、小人と出会う少年の年齢は、原作では9歳です。小人と会ってもそのことを秘密にする、虚勢を張って小人と言い合いになる、小人のために良かれと思ってしたことがやりすぎになる、すべて9歳の子供だからリアリティが感じられるのです。そして原作のラスト、無力感の底から、知恵のすべてを使って、小人たちのためにするべきことをする姿が感動を呼ぶのです。子供だから。
 映画では、少年を心臓病の中学生にしたわけですが、その意図が全く不明です。中学生にしては行動原理があまりにも幼くて、いちいちに違和感を禁じえません。病気という設定も、お手軽に最低限のドラマを作るための安易な手段にしか思えないのですが、その設定でさえも十分に生かしているとは言い難いと感じます。
 原作では小人の天敵である猫を、さほどの必然性もないのに、無神経に登場させるなど、細かいところで気になる点も数多くあります。

人物の行動原理が意味不明

 この物語の主要な登場人物は6人です。人間側が、少年、老夫人、家政婦で、小人側が、アリエッティ、父、母。これは原作も映画も変わりません。
 この6人は、それぞれ人間と小人についての考え方や、価値観、世界観が異なります。原作では、それぞれの価値観が分かる台詞があり、会話があり、それぞれの価値観を戦わせたり、すり合わせたりする対話があります。
 映画では、登場人物が何を考えているのか、よくわかりません。思想を語るに足る台詞が用意されていないのです。それぞれに考えていることは違うはずなのに、十分に話し合っておらず、コミュニケーション不全に陥っています。
 これは意図したことではなくて、単純に脚本の質が低いためだと思われます。「台詞にたよるな」というのは、「必要な台詞を削れ」という意味ではありません。
 観客も登場人物の思考がつかみかね、キャラクターの行動の突飛さに、混乱したのではないでしょうか。
 なお、この映画の場合、絶対的な台詞の量が少ないのに、それをアニメーションらしい動きで補うということもしていません。だから、90分程度の短い映画なのに、妙に間延びして、テンポが悪く、退屈で平板なのです。
 この映画のスタッフも、深刻なコミュニケーションの不全に陥っていたのではと思わされます。

閉塞感に満ちた映画

 この映画は「空が見えない」映画です。実際に、空のシーンも非常に少ないのですが、それ以上に映画全体のトーンとして、閉塞感を強く感じます。
 小人たちは小人たちで閉じた生活を送り、人間たちは人間たちで閉じた生活をしていて、社会に向けて開かれた部分が、非常に乏しい作品になっています。
 別に社会に向けてメッセージを発信せよというわけではありません。でも、どこかに外部への視線を持たせないと、単にコップの中の嵐を描いただけの作品になってしまいます。後に何も残りません。

ジブリはキャラクターデザインをクレジットすべき

 ジブリがキャラクターデザインを明らかにしないのはなぜなのでしょう。商売のため、宮崎駿がデザインしたとでも誤解させたいのかと邪推してしまいます。
 キャラクターデザインをしたのが、監督なのか、作画監督なのかは知りませんが、ベテランのアニメーターなら、もう少し自分の味みたいなものを出さないと、将来は無いんじゃないでしょうか。いつまで宮崎駿のコピーみたいな魅力のないキャラクターデザインを続けるおつもりですか。

「滅びゆく」という台詞の意味

 映画では、実に唐突だった少年の「小人は滅びゆく種族」発言ですが、これは原作から、へたくそに切り取ってしまった台詞です。
 原作での流れを説明します。
 それまで床下の家から出たことがなかったアリエッティは、初めて父親の借りの手伝いに行って、外の世界に出ます。そこで、9歳の少年に見つかります。
 その少年との会話の中で、まず、アリエッティが「人間が死に絶えていく」と口にします。屋敷に住む人間がどんどん減っていることから、床下の小人からはそう見えたのです。
 少年が言い返します。鉄道の話、フットボールの話、インドの話、人間はたくさんいると。アリエッティは、そこで初めて広い世界の事を知ることになります。
 少年は、小人のほうこそ、もう君たち3人しかいないんじゃないかと言いだします。そして言います。
「いつか、きみが、世界中に残った、たったひとりの借り暮らしやになるのさ」
 そこで、アリエッティは悟ります。このまま床下にいれば安全だけれど、もし小人たちが滅びつつあるのならば、そこにいても運命は変えられない。 外の世界に出て、仲間を探さなくてはならないのではないかと。
 原作のアリエッティは、外の世界への憧れと、小人族が生き延びることへの願いを持っていました。だから、屋敷から逃げ出すことも、困難だけれど、新たな運命を切り開く冒険のはじまりとして、 ポジティブにとらえることができたのです。
 そのきっかけになったのが、「いつか、きみが、世界中に残った、たったひとりの借り暮らしやになるのさ」という言葉だったわけです。
 映画での「小人は滅びゆく種族」発言には、この意味は全然反映されていません。単に薄っぺらい台詞になってしまっています。

互いに得るものがなさすぎる

 原作のアリエッティは、少年と出会い、会話をし、少年に本を読んであげる(少年はインド帰りで英語の読み書きが苦手)ことで、外の世界に目を開いていきます。
 少年のほうも、弱い立場の小人たちのために、できることはなんでもしようと努力します(やりすぎて墓穴を掘りますが)。また、ラストでは、小人たちの脱出のために、知恵の限りを尽くします。
 そこには、成長があり、異なる価値観の出会いがあり、ドラマがあります。
 一方、映画のアリエッティは、少年と出会って、何か得るものがあったのでしょうか。少なくとも、観客を納得させるだけの描写は無かったように思います。だから、映画を観終わっても、「不運にも人間に見つかった小人が、不運にも家を追い出された物語」という貧しい印象しか残らないのだと思います。


 最後に、映画をご覧になったなら、パンフレットを買うかわりに、原作小説を買われることをお勧めします。


床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉 (岩波少年文庫)

床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉 (岩波少年文庫)