トワイライト ささらさや
加納朋子の連作ミステリー『ささらさや』を原作とした映画。
『福福荘の福ちゃん』のほうが、果汁90%くらいの濃密さだったとすれば、この作品は果汁20%くらいの非常に薄い感じでした。このシナリオなら、てきぱきと演出すれば、半分くらいの時間の映画にできたと思います。
冗長で退屈な脚本に、最後にお涙ちょうだいをくっつけたような、今の日本映画では、よく見られる仕上がりでした。なんだよ、タイトルの「トワイライト」って。
夫の幽霊と、赤ん坊を抱えた新米ママのストーリー。
原作小説は、淡い読後感ながら、「日常の謎」の謎解きというミステリー要素と、引っ越し先で、主人公の「さや」を支える婆さん連合とヤンキーママのコミュニティーの人間ドラマの要素を両立させた、なかなかにテクニカルな作品でした。
一方、映画のほうは、ミステリー要素が全くゼロ。最後に原作にはない親子の和解をくっつけています。原作のさやの周囲の人間関係の妙とか、スピード感とかも切り落とされていました。
主人公の夫の職業を落語家としているのも、映画オリジナルです。
夫の幽霊が、周りの人にとりついてしゃべるということが、繰り返される展開なので、「とりついた状態」が、映画的に観客に理解できるようにしないといけない。→ 口調が独特でべらべらとしゃべれば、大泉洋のキャラも生きるし、わかりやすいのでは。→ しゃべりが達者ということなら、いっそ落語家の設定にしちゃおうか。という流れで決まったのではないかと思われますが、落語に関する取材が浅い気がします。
古今亭菊志ん師匠が落語監修を行っていますが、たぶん脚本レベルまでは口出しできなかったのでしょう。
例えば、主人公が子供のころ(おそらく20年以上前)の落語のシーンで、めくりに「菊志ん」として、現在の中堅真打である菊志ん師が口演していたりします。菊志ん師匠は落語好きにはおなじみですから、落語好きの観客は、どういう時間軸なのかと混乱します(20年前だと、菊志ん師匠は入門したて)。これは、監修をしていただいた菊志ん師匠へのサービスシーンなのでしょうが、落語に詳しい観客ほど「???」となります。
また、映画の最後で、落語家の夫が「お後がよろしいようで」と述べるのもいただけません。
今まで100回くらいは寄席、落語会に行っていますが、落語家は「お後がよろしいようで」とは言いません。『宮戸川』で濡れ場の途中で切る時に「お後の支度が整ったようでございます」的なことを言う場合や、紙切りの林家正楽師匠が「お目当てと交代でございます」と言う場合はありますが、「お後がよろしいようで」は使いません。CDなどでも聞いた覚えがありません。
基本的に、「○○アルヨ」と言う中国人がおらず、「○○でゴワス」と言う相撲取りがいないのと同様に、「お後がよろしいようで」と言う落語家もいないと思います。
また、「お後がよろしいようで」は、意味としては「次の準備ができました」ということなので、映画の観客が帰るときの挨拶としては変なのです。
最後にわざわざ挨拶をすることによって、「落語家という設定で映画を作ったけど、本気で落語の取材とかしなかったよ」と明言しているようなもので、実に「なんだかなあ」という感じになります。
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