泡坂妻夫先生の訃報を聞いて

はじめに

 2009年2月3日に、偉大な推理小説作家であり、紋章上絵師であり、アマチュアマジシャンであった泡坂妻夫先生が、お亡くなりになられました。ご冥福をお祈りいたします。
 泡坂先生の作品は、推理小説、エッセイ、研究書の別なく、大変な傑作ぞろいです。特に、推理小説の世界に残した足跡は大きく、泡坂先生がいらっしゃったことがきっかけとなって、数多くの新しい作家が生まれ、推理小説に挑むこととなりました。
 泡坂先生の死去にともなって、作品の重版などがあるとおもわれますので、未読の方は、ぜひとも、1冊でも多く、魅力的な泡坂ワールドにふれていただきたいと思います。泡坂作品は、「騙される喜び」に満ちています。そして、その「騙される喜び」は、きっと人生を豊かにしてくれると思います。

初期作品について

 私と泡坂作品との出会いは、高校の図書館にあった、長編推理小説『乱れからくり』の文庫本でした。からくり尽くし、トリック尽くしの実に贅沢な作品です。圧倒されました。


乱れからくり (創元推理文庫)

乱れからくり (創元推理文庫)


 その後、デビュー作を含む連作短編集『亜愛一郎の狼狽』『亜愛一郎の転倒』『亜愛一郎の逃亡』を、憑かれたように読み進めました。亜愛一郎シリーズは、トリッキーな推理小説の、頂点と言ってよい作品です。ある意味で、チェスタトンをも凌駕しています。東洋の一人の職人(家紋を描く紋章上絵師)の頭の中に、巨人チェスタトンをも上回る奇想が、詰っていたわけです。
 都筑道夫先生は、『黄色い部屋はいかに改装されたか』という評論(大傑作です)で、「論理のアクロバット」という言葉を提唱しています。しかし、この言葉は、現在、あまり正しく使われていません。
 都筑先生の提唱した「論理のアクロバット」は、エラリー・クィーンなどをイメージした、どちらかといえば地味な印象のものでした。それに対して、泡坂先生の亜愛一郎シリーズは、それらよりも数段インパクトのある、格段にアクロバティックな論理展開を、見せてしまったのです。そのために、泡坂作品のほうに「論理のアクロバット」というイメージが、ついてしまいました。
 都筑先生の言った「論理のアクロバット」は、「論理の前回り」程度の認識だったのに、泡坂先生が、それを上回る「論理の月面宙返り」を見せてしまったので、そちらの印象のほうが強くなってしまって、用語のイメージが上書きされてしまったのです。
 亜愛一郎シリーズでは、言葉遊びのセンスも卓越しています。亜さん、井伊さん、上岡菊彦さん、とか、大笑いしました。


亜愛一郎の狼狽 (創元推理文庫)

亜愛一郎の狼狽 (創元推理文庫)


亜愛一郎の転倒 (創元推理文庫)

亜愛一郎の転倒 (創元推理文庫)


亜愛一郎の逃亡 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

亜愛一郎の逃亡 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)


しあわせの書

 泡坂先生を語る上では、『しあわせの書』は、決して欠かすことのできない作品です。
 とにかく驚天動地の大トリックが仕掛けられています。なんとしても読む価値のある一冊ですので、ぜひ探してみてください。


しあわせの書―迷探偵ヨギガンジーの心霊術 (新潮文庫)

しあわせの書―迷探偵ヨギガンジーの心霊術 (新潮文庫)

妖盗S79号

 怪盗ものです。ともかく面白く、夢中で読んだ記憶があります。


妖盗S79号 (文春文庫)

妖盗S79号 (文春文庫)

輪舞シリーズ

 泡坂先生の長編推理小説では、『死者の輪舞』、『毒薬の輪舞』の輪舞シリーズも忘れられません。刑事のキャラクターが特異で、事件は、ひねくれまくっています。


死者の輪舞 (ミステリ名作館)

死者の輪舞 (ミステリ名作館)


毒薬の輪舞 (講談社文庫)

毒薬の輪舞 (講談社文庫)

曾我佳城シリーズ

 高名なアマチュアマジシャンでもある泡坂先生ならではのシリーズで、美人マジシャン曽我佳城が主人公の、連作短編ミステリです。人情の機微にも通じています。
 長く描き続けられてきましたが、『奇術探偵曾我佳城全集』として、まとめられています。


奇術探偵曾我佳城全集

奇術探偵曾我佳城全集

エロティックな作品について

 泡坂先生は、エロティックな作品も、いくつか残しています。個人的に好きなのは、『湖底のまつり』、『黒き舞楽』、『弓形の月』などです。泡坂先生の凄いところは、エロティックな作品では、そのエロティックな部分が、ミステリの骨組と、不可分に結びついていて、読者を幻惑させるところです。これは、他の誰にも真似のできない至芸です。『湖底のまつり』の極めてトリッキーな構造、『黒き舞楽』の猛烈な迫力、『弓形の月』の読後の幻惑感、いずれも忘れられません。


湖底のまつり (創元推理文庫)

湖底のまつり (創元推理文庫)


黒き舞楽 (新潮文庫)

黒き舞楽 (新潮文庫)


弓形の月 (双葉文庫)

弓形の月 (双葉文庫)

捕物帳、時代小説について

 泡坂先生は、捕物帳、時代小説の名手でもあります。『夢裡庵先生捕物帳』と『宝引の辰捕者帳』が代表的なシリーズです。おすすめは、『夢裡庵先生捕物帳』の『びいどろの筆』です。探偵役がリレーしていく趣向が楽しめる、トリッキーでハイレベルな短編集です。
 『夢裡庵先生捕物帳』の各短編は、雑誌に1年に1本ずつ掲載されました。そのため、続けて読むと作風の変化も楽しめます。



職人小説について

 泡坂先生は、推理作家になる前、そして推理作家になった後も、和服に家紋を描く紋章上絵師の職人でした。そのため、紋章上絵師や、和服に関わる職人たちの世界を描いた作品も、数多く残しています。時代を追って下火となる和服文化と運命をともにする職人たちの姿には、共感と感動を覚えます。『折鶴』などでは、職人の生の叫びが聞こえるような気がしました。
 代表作は、直木賞をとった『蔭桔梗』でしょうか。『蔭桔梗』には、上質な本格ミステリの香りが、しっかりと残っています。


折鶴 (文春文庫)

折鶴 (文春文庫)


蔭桔梗 (新潮文庫)

蔭桔梗 (新潮文庫)

エッセイ、研究書について

 泡坂先生のエッセイでは、『ミステリーでも奇術でも』が、おすすめです。泡坂先生の自伝的エッセイですが、非常に魅力的で、夢中になって楽しめました。


おわりに

 泡坂先生の作品の、ごく一部について、簡単に述べてきました。他にも、面白い作品は、山ほどあります。現在は品切れのものも多いかもしれませんが、いずれは再販されることになる不滅の作品群です。手に取れる機会があったら、ぜひ読んでみてください。