落語雑感三題

火焔太鼓のマクラ

 浅草の寄席に行ってきました。トリは古今亭菊之丞『火焔太鼓』。
 師匠(円菊)の師匠である昭和の名人、古今亭志ん生の得意ネタであり、円菊の使ったマクラや、志ん生の作ったクスグリをちりばめた、古今亭伝統の一席として楽しかったです。
 ただし、志ん生の時代と違うのは、マクラのアレンジ。道具屋の掘り出し物で「時代が違っていて、あるはずがないもの」を、志ん生は「小野小町が鎮西八郎為朝に送った手紙」としていましたが、菊之丞は「小野小町二宮金次郎に送った手紙」としています。
 今の観客は(自分も含め)鎮西八郎と言われてもピンと来ないし、平安時代前期(小野小町)と平安時代末期(鎮西八郎為朝)という時代の違いもよく分からない。従って、現代の客が瞬間的に理解して笑えるようにするには、二宮金次郎くらい極端に時代の違う人物を挙げるほかないのでしょう。
 志ん生の落語は、観客は教養があるのは当たり前として、余計な説明は省略していましたが、現代では、分かりやすく演じないと伝わらないことが増えてきました。ただし、そのようなことも含めて、最近の若手落語家は「古典落語を今の時代に演じることの意味」について自覚的なので、分かりやすく、かつ古典の本質を伝えるように工夫をしていて、それぞれに面白いと思います。

甚五郎の龍と落語の仕草

 今回、古今亭菊之丞『火焔太鼓』を聴いた席は、最前列の一番端という特殊な席でした。あまり条件のいい席ではありませんが、横から見る落語は新鮮でした。楽屋の中も少し見えました。
 至近距離かつ横から見ていて気付いたのですが、この位置で見る落語の仕草は、かなり大げさにデフォルメされていて、ダイナミックな印象でした。特に、前後の動きの大きさは、予想以上でした。
 普通の会話のボディランゲージは、2mくらいの距離で交わすものですが、落語では観客は10m向こうにいます。10m向こうにいる観客に、あたかも2mの距離にいるかのように、ボディランゲージを伝えるためには、普通の会話よりも、仕草を大きくしなければなりません。
 左甚五郎が彫った龍が、間近で見るといかにも荒削りであったものが、高いところに上げると生きているようだったという逸話にも、通じるものがあるように思います。

そばをすする仕草について

 落語家がテレビに出ると、必ずと言っていいほど「かけそばを食べる仕草」をリクエストされますが、いかがなものかと思っています。
 と言うのは、かけそばを食べるシーンのある落語は実際には少なくて、ほとんど「時そば」ひとつしかないためです。そばを食べる仕草が、落語家にとって特に重要なスキルかと言うと、別段そうではないように思います。
 そばの出てくる噺には、もりそばを大食いする「そば清」や、殿様がそば打ちをする「蕎麦の殿様」、そば屋が出てくる噺として「中村仲蔵」、「おすわどん」などがありますが、いずれもかけそばをすすってはいません。
 ちなみに、うどんの出てくる噺には「時うどん」、「うどん屋」、「風邪うどん」、「探偵うどん」、「替り目」などがあって、こちらの方が多いくらいです。
 「時そば」をよく高座にかける落語家ならば、そばをすする仕草もいいけれど、落語家一般のスキルを見せるネタとしては、キセルを吸う仕草のほうが適しているような気がします。こちらのほうは、古典を演じる落語家には必須のスキルですから。