古今亭菊之丞独演会 池袋演芸場

 2012年1月27日の池袋演芸場古今亭菊之丞の独演会に行ってきました。
 出演者は菊之丞師匠のみ。演目は、『愛宕山』『芝浜』『らくだ』の大ネタ3題。しかも『芝浜』はネタおろしとのこと。それだけでも非常に苛酷なのですが、菊之丞師匠はこの日、浅草と鈴本の高座にも上がっていて、1日に5席の落語を語ろうという大変な日。
 出囃子にも趣向があって、『愛宕山』は桂文楽の出囃子、『芝浜』は桂三木助の出囃子、『らくだ』は三笑亭可楽の出囃子で登場。
 コンピュータの動画サイトで、昭和の名人の録音が簡単に聞けてしまう時代、「『芝浜』だったら三木助の録音を聞くからいいよ」と言われないように奮闘するのが、現代の落語家の使命となります。もとの噺を壊さないようにしながらも、ぎりぎりまで演出の工夫をしなければなりません。


愛宕山
 菊之丞師匠の十八番、ロードムービーならぬロード落語の趣もあり。
 普段はトリでやる落語なので、竹を曲げるシーンで力を使い果たしても大丈夫とのことですが、今回はそのあとに2席もあるので大変です。しかし、ペース配分を感じさせない渾身の演技でした。
 途中入場だったのですが、やっぱり落語は、横から見るより、正面に近い位置で見る方が、格段に面白いですね。しぐさや姿勢を前から見るのも、重要な落語の要素です。


『芝浜』
 ネタおろし。前半はコミカルな演出。
 後半では、財布が夢と言われた後、魚屋がまじめに働きだしてからの過程、店を出すようになって、充実した生活を送っている年末の風景、貧しかったころの年末の回想などに、十分な時間を割いて、厚みを持たせた描写をしています。なるほど、これならもう酒を飲んでも大丈夫、と聞くほうも納得できます。
 貧乏な噺というイメージが強かったのですが、一度は道を踏み外した魚屋の、立ち直りのサクセスストーリーとしての印象が強くなりました。従来『芝浜』は夫婦愛が泣き所とされがちですが、今回の噺では、それに加え、「ダメになりそうだった人が、きちんと立ち直ることができたんだ」という力強いストーリーに素直に感動できました。


『らくだ』
 初期の段階では、らくだの兄弟分については、あくまでも傍若無人におっかなく、屑屋はあくまでも気弱に気弱に描写し、両者のコントラストがひときわ際立っていました。
 「かんかんのう」は大迫力。屑屋の酒乱ぶりも、家族自慢をしながら荒れていくのが面白く、堪能しました。
 この噺は、死人のかんかんのうと、酒乱の屑屋の豹変ぶりが、2大クライマックスで、その後、オチに向かうにしたがって、展開に無理が生じてきます。
 オチも死人と間違えて、無関係な願人坊主(乞食坊主)を火葬場の火の中に放り込むという、乱暴かつ非現実的なシチュエーション。焼死するかもしれない瀬戸際に、「ひやでもいいからもう一杯」もないもんですが、それも含めての古典落語です。
 力を込めるところ、抜くところの案分をきちんとわきまえて、「ひやでもいいからもう一杯」までを演じ切りました。