かいじゅうたちのいるところ

 数分で読める絵本を、2時間の映画にする必然性が、きちんとあることに感心しました。絵本では、子供の全能感をのびのびと描いていますが、映画では全能感の挫折を、シビアに、そして優しく描いています。
 冒頭で、姉、姉の友達、母がでてくる意味も、しっかりとしていていました。絵本のかいじゅうは、自己の投影だけれど、映画のかいじゅうには、他者のメタファーという意味合いもあります。絵本には登場しない他者を描くことで、映画独自の優れた物語が生まれました。
 映画には、藤子・F・不二雄の世界に重なるものがあるとも感じました。絵本には、あまりその要素はないのですが。映画のほうが情動的、藤子・F・不二雄のほうが理知的という違いはありますが、藤子先生が、この映画をコミカライズしたら、さぞかし面白いだろうなあ、と思わせるものがありました。