考察:4コマ漫画に「起承転結」という表現は適切か


 年末だというのに、4コマ漫画の話です。しばらくお付き合いください。
 4コマ漫画の構成を語る場合、「起承転結」という言葉がよく使われます。しかし、「起承転結」という言葉は、本当に4コマ漫画に当てはまるのでしょうか。「ほとんどの場合、当てはまらない」というのが私の意見です。


 まず、起承転結という言葉の意味を確認しましょう。この言葉は、もともと漢詩の構成を示す用語です。広辞苑(第二版)で意味を調べると、以下のようになっています。


起承転結
1.漢詩の句、特に絶句の排列の名称。第一の起句で詩思を提起し、第二の承句で起句を承け、第三の転句で詩意を一転し、第四の結句で全詩意を総合する。起承転合。2.転じて、物事の順序。


 ここで、多くの人が違和感を覚えるのではないでしょうか。第3の転句で「詩意を一転し」となっていますが、4コマ漫画の場合、「詩意を一転」するのは、3コマめではなく、むしろ4コマめのオチの役割です。
 そもそも、なぜ漢詩では、3句めの転句が必要なのでしょうか。おそらく、そこで場面の転換を行うことによって、詩の世界を広げて、詩情を深めるためだと思われます。
 しかし、4コマ漫画の場合には、3コマめで場面転換をし、世界を広げる必要性は、特にありません。起承転結の「転」は、4コマ漫画には必要ないと思われます。
 4コマめを、「転結」を含むものとして、解釈することもできますが、その場合にも、3コマめを「転」と解釈する従来の考え方は、不合理となります。


 オーソドックスな4コマ漫画を描く、秋月りす先生や小坂俊史先生の作品を、実際に読んでみても、3コマめに重要な場面の転換を行っている例は少ないです。実際の作品のうえからも、3コマめの「転」の必要性の低さは、実感できると思います。
 むしろ、4コマめのオチが重要であって、1〜3コマめは、オチを最大限に生かすことを考慮して、構成がされています。この点については、後に引用するインタビューを参照ください。


 そもそも、起承転結が、4コマ漫画を表現するのに使われるようになったのは、4句からなる絶句という漢詩の形式と、4コマ漫画の形式とが似ていたからでしょう。
 しかし、4コマ漫画を文芸に例えると、漢詩の絶句よりも、短歌や俳句(狂歌や川柳)、あるいは星新一の書くようなショートショートに、むしろ近いと思われます。短歌や俳句に起承転結を求めるのはナンセンスですし、ショートショートの場合でも、物語の起承転結よりは、最後のオチを生かすための構成が重視されるべきでしょう。


 ここで、プロの4コマ作家が、どのような構成を念頭において、4コマ漫画を仕上げているかを知るために、小坂俊史先生のインタビューを引用したいと思います。
「月刊まんがの森 2005.July Vol90」に掲載されていた、印口崇氏による小坂俊史先生へのインタビューからの抜粋です。


●4コマでネームを考えるときはどういうところから始めるのでしょうか?
 まず、1コマ目の起こしが重要なんですね。キャラをどういう状況に置くかというのが重要です。1コマ目ですごくリアルティのある、生活感のある1シーンを切り取れたらそれだけで嬉しいんですよ。
 最近『ハルコビヨリ』なんかは特に、1、2、3くらいまではキャラの流れでポンポンと行くんですよ。その後4をじっくり考えて4が出来たら、4の台詞にいろいろかかるように3、1、2の順で戻って調整していきます。4の台詞が一番活きるためには、1、2、3コマをまたどうするかということです。


●それは今まで描く中で培われたノウハウ?
 そうですね。2コマ目もけっこう重要で、たいていオチへの振りがなにかあるんですよ。あと台詞は3行を超えないようにしています。どうしても説明しきれない場合は増えることもありますが。ともかく説明不足が一番怖いです。


●オチに至るまで様々な試行錯誤があるわけですね。
 だからオチにもちゃんと理由がいるんですよ。理由を作るために1、2、3コマでシチュエーションをちゃんと作って、こうオチざるをえないように追い込むんですね。ネタが完成しても、ほんとうはネームは一晩くらい寝かしたいです。


 以上のインタビューを読んでも、オーソドックスな4コマ漫画の構成においては、「起承転結」よりも、「オチとオチへの伏線」が重要であることが確認できると思います。


 ならば、4コマ漫画は、オチがすべてかというと、そうではないところが、このジャンルの懐の深いところです。オチのキレを最も重視するのが、オーソドックスな4コマで、この代表選手は、先ほど挙げた秋月りす先生や小坂俊史先生です。
 これに対して、オチのキレ味よりは、キャラクターやストーリーを重視するタイプの4コマ漫画もあり、その分野でも、質の高い作品が生まれています。こちらの代表選手は、ひらのあゆ先生、むんこ先生、佐藤両々先生などでしょうか。
 秋月りす先生とひらのあゆ先生は、いずれも押しも押されもせぬ看板作家ですが、そのタイプは異なり、秋月りす先生の偉大さが、どちらかと言えば4コマめの非凡さによるものだとすれば、ひらのあゆ先生の偉大さは、どちらかと言えば1〜3コマめの非凡さによるものだと思っています。


 なお、4コマ1本のなかで起承転結を語ることには、上述のとおり、あまり意味がありませんが、4コマ数本をまとめた場合、そのなかで起承転結が生じることは、ありうると思います。ストーリー4コマの場合などがその例です。
 また、オーソドックスな4コマを描く小坂俊史先生は、1回の雑誌掲載分の、ラストから2本目に固定キャラを配した作品を置く場合が多いです(せんせいになれませんの桃山、ハルコビヨリの横田さんなど)。これには、構成を締める効果があるそうで、ある意味で、起承転結の「転」に近い意味合いを持つものかなと思ったりもします。