星を追う子ども

 新海誠監督の長編アニメーション映画。
 少女とオッサンが地下の国を旅して、それに少年がからむという冒険物語。
 少年と少女とオッサンに異世界と言えば、誰もがラピュタを想起すると思いますが、それに限らず、宮崎駿映画のモチーフがあちこちに出てきます。もののけ姫ナウシカシュナの旅
 おそらく、意図的にジブリ的な器を用意し、そこにジブリ的ならざるキャラクターと物語をぶつけることで、新味を出したかったのでしょう。ただし、それが成功しているかは微妙です。
 主人公の少女は、成績優秀、家事万能ながら孤独を愛し、山奥でひとり鉱石ラジオを聞くのが趣味という内向的な性格。物語の前半ではキャラクターのオリジナリティはありそうに感じたのですが、後半の冒険パートになると、その設定がほとんど生きずに、ごく普通の少女になってしまいます。
 内気な少女には内気な少女なりの冒険のスタイルがあり、内面の葛藤があると思うのですが、その部分の描写が全く足りておらず、設定がただの設定で終わってしまっています。
 異界に迷い込んだ少女が、その最奥を目指す理由があいまいなのも問題でしょう。例えば「少年の生まれた土地を見てみたい」というレベルでもいいので、明確な理由付けが欲しかったところです。
 物語を引っ張るのは、亡き妻の復活を願うオッサンなのですが、その物語も、あまりにもイザナギオルフェウス系の神話そのままで、簡単に展開の予測がついてしまいます。


 新海誠監督と言えば、『ほしのこえ』などの個人製作アニメの名作で知られるようになった才人ですが、なかなかこういう才能を、商業アニメの世界で生かしきることは難しいようです。
 新海誠監督にしろ、粟津順監督にしろ、個人製作で短編作品を作っているときには、新しい才能として、本領を100%発揮しているのですが、次の段階で商業ベースに乗るものとなると、どうしても長編映画となってしまい、そうなると長編娯楽映画のフォーマットや、興行収入追及の論理に縛られてしまって、十分に個性が生きなくなるきらいがあります。
 日本の映画市場が閉鎖的で小さいことは、どんな製作者にとっても、大きな枷となっているようです。とはいえ、枷があるからこそ輝くのが表現ではあるわけですが。